投稿日時 2012-11-30 05:19:03 投稿者 ごんたろう このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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水野忠邦(1794~1851) 肥前(佐賀県)唐津藩の藩主水野忠光の次男として生まれ、19歳のときに唐津藩6万石を継ぐ。 長崎の出島警備の役目がある唐津藩の藩主は老中(将軍のすぐ下で政治に携わる役職)にはなれないという決まりがあったが、寺社奉行、大阪城代、京都所司代などを務めた後に1834年(天保5年)、41歳で老中になる。 天保の飢饉などによって悪化した社会の状態を立て直すため、質素倹約・綱紀粛正を旨とする天保の改革を実施した。 奢侈禁止令で贅沢を禁じ、生活が苦しくて出稼ぎに都市へと流れ込む農民を村へ強制送還し(人返し政策)、株仲間を解散させる。 更に、上知令(江戸・大阪10里四方を幕府の領地とする命令)を出して幕府の経済力を高めようとした。 しかし、改革はうまくいかず1843年に老中を辞めさせられる。1851年、58歳で死去。 *「人返しの法」で農民を村へ強制的に返したのは、農村に人が居なくなると田畑が荒れて生産が減少する等色々と問題があるから。しかし、あまり効果が無かった。 *「株仲間」は、幕府や藩が認めた商工業者の同業組合のこと。競争を防ぎ利益を守る為に加入者の数は制限されていた。幕府や藩は冥加金という税金を納めさせて利益を得ていたが、株仲間の独占によって物価が上昇した為に天保の改革で解散させられた。結果、流通が混乱し1851年に復活する。 もしかしたら、贅沢を禁じつつ自分はこっそり豪遊しちゃうような人だったのかもしれませんが、彼の生涯として記された概要を読んで、私が妄想した水野忠邦を描いてみました~(≧▽≦*)/ ~私の妄想水野忠邦像~ 基本、真面目で努力家で一生懸命。 自分にも他人にも厳しい上に極端過ぎる嫌いがある。 その為に、人々の為を想って行動してても周りの賛同が得られない報われない人。 周囲からは煙たがられて孤立奮闘。日々頭を悩ませている。 え?何でこの人が偉人?と思われた方、いらっしゃるでしょう( ̄ー ̄*) 改革あまり上手くいってないみたいですしね。 失敗ばかりで優れた功績を上げてなくても、失敗は成功の元っていうし、後の世で参考になったかもしれない。 と思って描く事にしました(*^-^*) 何より、上記で挙げたような性格を想像してみたら、可愛げがあって親しみが湧いたので描かずに居られんかったのです♪ 右下の「Heroic Paranoia☆2012」の落款は、アフロ蛇丸さん作。 アフロ蛇丸さん、使わせてもらいました! ありがとうございます>< |
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